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徒然映画録 『この世界の片隅に』 ~彼女が手にした日常~

ツイッターでもかすかに触れていた映画、
『この世界の片隅に』を観ました。
なんというか、本当、すごい作品でした。

劇場で鑑賞したのですが、観終わったあとに席を立つのがつらかった。
もしこれを家で観ていたら、そのまま布団に飛び込みたかった。
胸の中に重い思いが散りばめられて、
肉体の中に留まることを拒絶しているかのようでした。

観終わった当初のメモはものすごくまとまりはなかったのに、
そのひとつひとつにかたちがある。
感想としてまとめてしまうと、
この物語の色々な側面が削られていくようで怖いとも思いました。
でも、もの書きのはしくれとして、
何かひとつでも伝わるように、こうして感想を書いていきます。





この物語は「すずさんが生きてきた日常」でした。
でも、どこにでもある日常でもなく、確かな日常でもない。
それは彼女が自ら手にした日常なんだと、観終わってから深く感じます。

これを読むひとたちにもあるはずの日常。
朝起きて、ご飯を作って、食べて、職場に行って、
疲れて帰ってきて、ご飯を食べて、お風呂に入って、寝る。
明日も変わらない、きっと明後日も変わらない。
一年後だって、二年後だって変わらない。
私は、少なくともそれくらい今の日常を確かなものだと思っています。

すずさんにもそういう日常があります。
おばあちゃんの家に遊びに行ったり、授業で絵を描いたり、
お嫁に行ったり、ご飯を作ったり、
向こうの家のお姉さんにきつくあたられたり、
ハゲができたり、道に迷ったり、デートをしたり。

でも、すぐ近くには戦争の影があって、
それがじわじわとすずさんたちの日常を蝕んでいく。
配給は減り、空襲警報は鳴り響き、周作たちの仕事が増える。
それでも、すずさんたちは懸命に生きていく。
最初はつらいと思っていた嫁入り生活も、
「醒めない夢であってほしい」と思えるようになった。

これだけでも、一人の女性の生き様として強く美しいと思います。
振り返ってみれば、現代のつらい仕事に耐え、
少しずつ自分の居場所を確保していくお話のようにも思えます。

だけど、やっぱり戦争という「死の影」があるところが決定的に違う。
哲は少なくともそういう「死の影」が差しているひとでした。
哲はお兄さんのことや、海軍で働くこともあり、
ある意味、死に憧れていた部分もありました。

でも、すずはそうではなく「普通に生きる」ことを選んだ。
幼なじみだった哲と一緒にならない選択をしたのは、
すずのそういう思いがあったからこそなんだと思います。
哲は笑ってすずのそういう生き方を後押ししてくれた。
そういうところが、よりすずの強さと優しさを感じさせてくれます。

でも、あの不発弾を境に、その雰囲気は一変します。
逆説的ではありますが、
それだけ「普通に生きる」ことがいかに大変だったか。
あの一発の爆弾が、すずの手にした日常を奪います。

義理の姪である晴美を失い、自らの右手も失う。
彼女の右手は絵を描くためのものであり、
同時に彼女が世界と触れ合うための手段でもあったとも思います。
もじゃもじゃのおじさん、広島の風景、空に舞う硝煙。
そして、人と繋がるためのものでもありました。
海を駈けるウサギ、西瓜と甘味、お魚。
周作とも、哲とも、晴美ともそうやって繋がってきた。

でも、それが失われてしまった。
それはすずの居場所がなくなるのと似たようなことだと思います。
確かだったはずの日常が、失われる瞬間。
晴美がいなくなってわかる「死の影」。

追い打ちをかけるように流れる玉音放送。
晴美を失っても、右手を失っても、
お国のためと信じて我慢していたのに。
それなのにその生き方さえ否定されてしまった。
晴美も、右手も失ったことはなんだったのか。

すずが明確に涙を流すこのシーンは本当、つらかった。
「普通に生きること」を奪われた彼女の無念、哀しさ。
報われることのない、喪失感。
あの爆弾のシーンから揺らいでいた心が、崩されました。

それでも、彼女たちは生きていかなければならない。
少し順序が逆ですが、すずはその決意をします。
涙を浮かべながら、無我夢中で焼夷弾を消し止めるのは、
喪失感の中でも現れた決意だったのだと思います。

終戦。まわりを見れば、みんな何かを失っていました。
家族を失った人も多くいました。
爆弾で家が全壊してしまったおばさんもいました。
妹のすみも、近くで父と母を失っています。

それでも、少しずつ「日常」を取り戻していきます。
戦争は終わっても、ひとは生きている。
「明日も、明後日も、来月も、来年も」。
戦争の前の日常とは違う姿だけれど、
普通に生きることをみんなが取り戻し始めます。
哲の言葉のように、「笑って思い出す」ために生きていく。

すずも、戦死したというお兄さんの冒険譚を空想します。
彼女の右腕は失われてしまったけれど、
その空想が、もじゃもじゃのおじさんともう一度引き合わせてくれた。
そういう意味で、物理的な意味で右手を失っても、
すずは確かに「日常」を取り戻しつつあったのではないかと思います。

そして最後の子。あの子を家に引き取ると決断をしたすず。
その決断はたんぽぽのように優しく、力強いものだと思います。
彼女がもう一度「普通に生きる」ことを選んだこと。
一度失われた日常を取り戻していこうと思ったこと。
「死の影」の中にいた子を、光ある世界に連れてきたのは、
並大抵の決断ではないのだと思います。
だから、その思いには今でも涙が出そうになります。

こうして振り返ってみて、やはりこれが強く優しい作品なんだと感じます。
この作品で描かれる日常は、確かなようでいて脆く不安定でした。
それでも、やっぱり帰るところが日常にあるんだって、
そう思わせてくれる、あたたかい話であったように思います。

スタッフロールが流れ終えて、すずが右手を振るシーンは、
「いつかあったはずの日常を思い返す」のではなく、
「すずが右手を取り戻した」ことを示すのだと、信じてやみません。

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プロフィール

蛮天丸

Author:蛮天丸
物書き。
東方プロジェクトの二次創作小説を中心に、
好きなものを好きなように書いています。
最近は秘封がお好き。
秘封処女膜合同の主犯(siroito.web.fc2.com/maidenhead/)だけど、処女じゃないよ!
アイコンは一条さんからお借りしました。

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