スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

作品に突き放されても

「すべてを理解させることは美しい、けど薄い」って話です。






最近、映画だったり本だったりを久々にがっつり楽しみました。
言葉を失うくらい満足するものもあり、
一方で胸の中にもやもやしたものが生まれることもありました。

結構壮大なストーリーなはずなのに、
いまいち、どっと疲れるような感覚になれない。
美味しいサイダーを飲んだときのような感じです。
口当たりはいいのですが、後味がありません。

そんな作品を好きな人を否定するつもりはありません。
ただ、私は「こってり」濃厚豚骨ラーメン派(?)です。
鑑賞し終わって「あ゛あ゛ぁあ」って言っちゃうような作品が好きです。
(どうでもいいですが、ラーメンは味噌派。)

でも、「こってり感」ってなんでしょうか。
自分で書いておきながら、そこがよくわかっていません。
とりあえず、今のところは
「見る人を突き放す部分がある作品」に
こってり感を覚えるのではないか、と思っています。

一般的には、鑑賞する人が理解できないことを描くことはよくないとされています。
今の時代は、鑑賞者の共感を得てナンボ、みたいなところがあります。

たとえば、主人公が自分の家族を殺されて、でも翌日にはけろりとしている、とか。
こりゃ、ちょっと共感できません。薄情だとも思いますね。
でも、突き放しても、案外鑑賞者はその空白を自分で考えようとします。
さっきの例でいえば、主人公の記憶は一日しかもたないとか、そういう理由。
突き放すことのない作品は、きちんとその理由を描いて鑑賞者を安心させます。

でも、突き放す作品は、何の説明もないままお話が進む。
鑑賞者は物足りない感情を覚えながら先を見る。
ヒントっぽいものはあっても理由を断言することがないまま、作品は終了。
結局理由は鑑賞者自身で考えざるをえない。

でも、そういう「考えざるをえない」という欠乏感が、
逆に鑑賞者にその世界をじっくり味わわせることにもなります。

わかりやすい例だと、『エヴァQ』なんかそうじゃないでしょうか。
『破』まではちょっと謎を残しながらもわかりやすい路線で進んでいた。
それなのに、急に14年経って、「ニア・サードインパクト」も語られないまま、
フォースインパクトが起きかける。
「ちょっと待ってよ、14年の間に何があったのさ!」
劇的な変化ゆえ、その空白期間を想像せずにはいられない。
めちゃくちゃ頭を使って、なんとか話に整合性を見つけ出そうとする。
だから、観終わってどどっと疲れるのに、「欠乏感」という満足感がある。

こうして書いてみると、「こってり感」というのは作品そのものではなく、
鑑賞する自分の姿勢こそが生み出しているのだなあ、と思います。
でも、そんな姿勢を生み出すのは、鑑賞者を突き放す作品にある。

一方で、全部を全部きちんと説明してしまうお話は、
お話で描かれていること以上に考える必要がありません。
物語世界はそこで閉じて、外に出ることはない。
それはそれで美しいかたちではありますが、
鑑賞者にそれ以上の何かを抱かせることは少ないように思います。

でも、「突き放す」というのは、非常にコントロールが難しい。
作る人は「何を描かないか」ということをよくよく考えないといけない。
そうしないと、とっかかりもなく、誰も寄らない何物かになってしまうから。
そもそも「突き放される」のが嫌いな鑑賞者もいるわけで。
そんなリスクを考えると、全部を全部描く選択をする場面も必要なのでしょう。

まあ、何が好きかは結局個人の判断によるし、
どう作品を作るかも、作り手の考え方次第なんでしょう。
でも、私は突き放されつつも、頑張ってそこにあるものを味わい尽くしたい。
そんなふうに考えつつ、最近の映画ラッシュを楽しんでいます。

なんだか、曖昧なお話なので、この記事も突き放していますね。
突き放しているっていうか、自分から遠ざかっているみたいな。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

蛮天丸

Author:蛮天丸
物書き。
東方プロジェクトの二次創作小説を中心に、
好きなものを好きなように書いています。
最近は秘封がお好き。
秘封処女膜合同の主犯(siroito.web.fc2.com/maidenhead/)だけど、処女じゃないよ!
アイコンは一条さんからお借りしました。

ジャンル

東方 読書録 映画録 漫画録 ゲーム録 アニメ録 ドラマ録 艦これ 

RSSリンクの表示
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。